2013年6月17日月曜日

『草原』25-05(通巻125)号より

蜘蛛の巣に桜一片  錆助
 説明を必要としない、美しい写生句です。ただそれだけ、無条件に受け入れるほかない句、そういう句に惹かれます。一点に凝縮された景より、読み手のそれぞれのうちに詩情が拡がって行くのです。

従姉が継いだ墓の雑草  ゆ
 ご実家の墓場での景でしょう。諸事情があって、その管理は詠み手の従姉に委ねられることとなりました。しかし久しぶりに帰郷してみると、ご先祖の墓周りは雑草だらけ。思うところ大なりといった感じでしょうか。

一日炎天の海ただようて陽が落ちてゆく  句塔
 この句だけ単体で出てくれば、どことなく牧歌的な雰囲気を感じます。あるいは、漂流中のとんでもない状況かもしれません。ところが詠み手は句塔、従軍中の一句でしょう。敵と遭遇しなかっただけよかったと思うべきなのでしょうか。余談ですが、「行く」を「いく」ではなく「ゆく」と読むことが戦前よりあったことに感心しました。

ひとり老いて活字を見れば眠くなる  かいじ
 春眠という言葉が頭をよぎる句です。この場合の「ひとり老いて」は、ひとり暮らしという意味ではなく、共に老いる相手がないという意味でとりたいです。人の生の美しさを、私はこの句にみます。

しがらみ飲み込んだ熱い喉仏(義兄の死)  智庸
 そねだゆ氏による鑑賞文「小山智庸 第二句集『茜雲』鑑賞2」より。個人的には、「(義兄の死)」はない方がいいように思いました。もっとも、但し書きのためではなく、詠み手自身の記録的な意味で付したものでしょう。焼かれて骨となった義兄の生に思いを馳せる、詠み手の姿が浮かんできます。