2013年1月24日木曜日

『草原』24-12(通巻120)号より


猫が捕まえてきたバッタの瀕死  滋人
 猫は自身の飼い主に、つかまえた獲物を見せるとききます。ただそれだけのために捕えられたバッタに、早く安楽が訪れることを願ってやみません。
 
クラゲ泳ぐ海に日射し通って行く  啓司
 昔、体が元気な頃、毎夏海で遊んでいました。お盆も過ぎると、少し沖へ出ただけのところに、くらげの大群が発生します。日射しに照らされた彼らはとても神々しく見えましたが、今も変わらず元気にしているのでしょうか。

空にぽこぽこ羊雲  ゆ
 この句を読んで以降、羊雲を見るたびに、ぽこぽこぽこぽこ脳内で音が鳴って仕方ありません。

北側の部屋で苦い水飲む  畦道
 以下二句、鉄塊報告②より。この句にある経験を、子供の頃にした記憶があります。当時住んでいた借家にあった、北側に面した空き部屋へ、親に怒られるとよく駆け込んでいたのです。どちらかといえばあまり楽しい経験ではありませんが、どうにも思い出してしまいました。

愛し方を変えただけだ春の夢  畦道
 「春の夢」の効き方が美しい、個人的に好みの句です。なお私が同様に詠もうとした場合、「愛し方ば変えただけたい」となります。共通語話者のことがほんの少し羨ましくなりました。

『草原』24-11(通巻119)号より


キリンの顔だけ先に見えた  瞭
 動物園でのひとこまでしょう。こういうことをしでかすために、彼らは首を伸ばす道を選んだのかもしれません。違うでしょうが。

夕立にぬれてカラスも私も  啓司
 急の夕立にぬれるほかなかったのは、どうやら私だけではなかったようです。動物は自然現象には敏感とききますから、てっきりカラスも事前に夕立を察知するものと思っていました。人間化しているのかもしれませんね。

あげた花を姪が捨てた  馬堤曲
 折ってあげた紙飛行機を、知人の子に地面へ垂直に投げつけられたことを思い出しました。無駄に勢いがあるのがまた、こちら側としてはさびしい気持ちになります。

秋の海に足を浸す  錆助
 「春の海へ裾をあげる」を思い出します。どちらも、静かな日常のひとこまです。

デジカメと秋を歩く  福露
 現代的な句となりました。山頭火らは、この句をどのように読むのでしょう。デジカメを何ととらえるのか、ぜひめぐり合わせてみたいものです。