2013年9月30日月曜日

『草原』25-08(通巻128)号より

お地蔵様の丸い肩に夕陽  啓司
 ちょうどお地蔵様の肩のところに、夕陽が落ちて行っていたのでしょう。お地蔵様の肩の丸さが、なんとも柔らかいです。

蛙鳴く鳴く妊婦の腹の張る  錆助
 「鳴く」は、ひとつでよいかとも思いました。あるいは、蛙の合唱となっていたのでしょうか。安産となりますよう。

観音様の前で蚊をうつ  錆助
 類句は多くあるでしょうが、観音様と同じような格好となった自身を詠んだ面白い句です。観音様が許してくださることを信じたいものです。

庭から台所へ蚊をつれて来た  福露
 勝手口から台所へ戻ると、ちょうど蚊も一緒に入ってきた。招かれざる客とは、まさしくこういう蚊のことをいうのでしょう。

遠くなった父の顔が鏡の中  滋人
 もはやお父様は、鬼籍に入られたものと想像します。しかしその面影は、しっかりと詠み手自身に引き継がれていたのでしょう。遺伝子のなせるわざですね。類句を最近にどこかで見た気がしますが、どうにも思い出せません。。

すべなし地に置けば子にむらがる蠅  あつゆき
 「特集 戦争俳句」より、松尾あつゆきの句を一句。これほど重い「すべなし」を、私は他に知りません。このときの景とあつゆきの心情を想像するたびに、涙を流さずにはいられません。自身の子を理不尽に殺されても、怒りを感じることすらできない状況が、あの場所には広がっていたのです。

2013年8月28日水曜日

『草原』25-07(通巻127)号より

夜明けひんやりと月見草  啓司
 月見草はメキシコ原産だとか。よくぞ日本までやってきて、美しい景色に寄与してくれたものです。夜明けの冷たい美しさがよく出ています。

呑みかけの茶の澄むしじま  錆助
 静かな空間で、呑みかけたお茶の成分?が沈殿して行く様を見ているところを想像しました。好きな景です。

鳥の声降る木陰に昼寝  錆助
 こうしたのんびりとした行動に憧れるのですが、臆病なせいでしょうか、屋外で寝るのが苦手です。

深夜目覚めて秒針の音  福露
 祖母宅で、よく深夜に目覚めていました。自分の意識がなくても周囲の時が流れて行くことに、不思議な感覚を覚えたものです。類句はありそうです。

老婆の通夜に老婆  独楽猫
 この句は、吉田幸一氏の「車椅子押す子も白髪」の後の話となりましょう。あるいは、通夜に来てくれる人の中に、若者がいないということかもしれません。魔女が集まって儀式を行っているように見えます。

石女たちがゆれる水面  独楽猫
 自称・他称の石女たちが、川辺でおしゃべりをしているのでしょう。それぞれの悩みが、水面に映し出されているかのようです。

九十の峠を越してなんのことなし  かいじ

 皆さん、ごくごく当たり前に齢を重ねているのでしょうが、未だ九十を超える長寿者を出していない我が家系からしてみれば、驚嘆するほかありません。どうぞ健やかに。

2013年7月20日土曜日

『草原』25-06(通巻126)号より

春の陽残る靴をはく  錆助
 暖かさがこちらまで伝わってくる句です。冬の陽では、なかなかこうはいかないように思います。

赤い躑躅散って月光  錆助
 色合い的にどぎついかと思いきや、夜の闇にはちょうどよい感じがします。

レンゲ畑の夕暮れぽつんとお地蔵様  啓司
 普段街中にいて、パソコンと向かい合ってばかりいると、こういう景とは出会えません。どうかすると、もはやこのような牧歌的な風景は過去のものとなってしまった錯覚すら覚えます。しかし、同時間のどこかでは、未だ存在している。SFチックな景にすら思えてきます。

更地になってケシの花満開  福露
 更地となる前には、いったい何が建っていたのでしょう。そしてそこの住民はどこへ行ってしまったのでしょう。疑問はいろいろと生じますが、ケシの花には、そんなこと関係ないようです。

いいなぁの口に花びら  ゆ
 なにが「いいなぁ」だったのか気になりますが、春らしい、楽しくなる景です。この口の持ち主は、子どもではなく女だったのではないかと思います。誤って飲み込まないといいのですが。

夢がくたびれた布団のつめたさ  寝覚

そねだゆ氏による鑑賞記事「野の若句作を味わう」より。共感できる句でした。老い先短かろうが夢がくたびれない人がいる一方で、老い先長かろうが夢がくたびれてしまう人もいる。不思議なものです。

2013年6月17日月曜日

『草原』25-05(通巻125)号より

蜘蛛の巣に桜一片  錆助
 説明を必要としない、美しい写生句です。ただそれだけ、無条件に受け入れるほかない句、そういう句に惹かれます。一点に凝縮された景より、読み手のそれぞれのうちに詩情が拡がって行くのです。

従姉が継いだ墓の雑草  ゆ
 ご実家の墓場での景でしょう。諸事情があって、その管理は詠み手の従姉に委ねられることとなりました。しかし久しぶりに帰郷してみると、ご先祖の墓周りは雑草だらけ。思うところ大なりといった感じでしょうか。

一日炎天の海ただようて陽が落ちてゆく  句塔
 この句だけ単体で出てくれば、どことなく牧歌的な雰囲気を感じます。あるいは、漂流中のとんでもない状況かもしれません。ところが詠み手は句塔、従軍中の一句でしょう。敵と遭遇しなかっただけよかったと思うべきなのでしょうか。余談ですが、「行く」を「いく」ではなく「ゆく」と読むことが戦前よりあったことに感心しました。

ひとり老いて活字を見れば眠くなる  かいじ
 春眠という言葉が頭をよぎる句です。この場合の「ひとり老いて」は、ひとり暮らしという意味ではなく、共に老いる相手がないという意味でとりたいです。人の生の美しさを、私はこの句にみます。

しがらみ飲み込んだ熱い喉仏(義兄の死)  智庸
 そねだゆ氏による鑑賞文「小山智庸 第二句集『茜雲』鑑賞2」より。個人的には、「(義兄の死)」はない方がいいように思いました。もっとも、但し書きのためではなく、詠み手自身の記録的な意味で付したものでしょう。焼かれて骨となった義兄の生に思いを馳せる、詠み手の姿が浮かんできます。

2013年5月29日水曜日

『草原』25-04(通巻124)号より


店のスタッフに抱かれている孫を発見  福露
 一緒にお店へ来たはずの孫が、気がついたら見当たりません。アナウンスがあったのかどうかわかりませんが、ようやく見つけた孫は店のスタッフに抱かれていました。なにはともあれめでたしめでたし。

白菜鍋つつく背中の丸い  錆助
 類句がありそうですが、冬の食卓の温かい雰囲気がよく出ていると思います。お腹が空いてきました。

豊満な乳へ媚びる  賢太郎
 どのような状況下で、どのように媚びたのかわかりませんが、男らしいストレートな句だと思いました。

夢の女の舌触り  ゆ
 色気のある句です。風狂子(錆助)氏に「舌絡み合って熱帯夜」の句がありますが、現実にしても夢の中の話にしても、舌が醸し出す魅力は変わらないようです。

劫火のかがやきの海へ先あらそうて跳ぶ  句塔
「甲板すでに紅蓮の炎の、救命具の紐結びなおす間」や「海へ跳ぼうとして見た甲板の死体いくつか」の句が直前にあるので、乗船していた船にて火災が起こった際に詠んだ句とみました。敵襲によるものかそれとも事故によるものか不明ですが、「劫火のかがやき」が映る暗い海に、なんともえない恐怖を覚えました。

あるけてあやういあんよ  広隆
 佐瀬広隆氏の句集『海鳴り』より。景が一瞬で広がる、佳句だと思います。音の明るさもあって、つい何度か声にだしてしまいました。今後は、こんな「あんよ」をみるたびに、この句が脳裏をよぎりそうです。

2013年4月27日土曜日

『草原』25-03(通巻123)号より


陽射しに春が混じっている  福露
 相も変わらず冬の日々が続きますが、詠み手の心が今日は特に跳ねていたのでしょう。だからつい、陽射しにも春が混じってきたのです。

川波いちづに小舟を打っている  滋人
 いちづは一途のことでしょう。一読して景が浮かび上がりました。川波は半永久的に小舟を打ち続けるのでしょうか。

泣き顔へ雪の一片  錆助
 気に食わないことがあったのか、あるいは怒られたのだろうか、この子はずっと泣きつづけています。そんな子にも雪が一片降ってきました。笑顔になるのももうすぐです。

母がいないバリアフリーに浸かる  ゆ
 自宅のお風呂を母親のためにバリアフリーに改築していたのでしょう。しかし肝心の母親は、どこか余所に暮らすこととなってしまいました。詠み手が浸かってやるほかありません。

頭上を敵機君も地に伏しているひととき  句塔
 敵機とひとときの、語感のギャップがおもしろいです。同じ部隊の君とともに、頭上の敵機をやり過ごしているところでしょう。確かにそれは「ひととき」なのでしょうが、どうにも休まらないひとときです。

月が雲を出て雲に入り朝遭うた君はいない(H伍長戦死) 句塔
 この冗長さが、この句の場合はいいと思いました。戦地の現実を突き付けられます。詠み手の目には、月はどのように映っていたのでしょうか。

2013年3月30日土曜日

『草原』25-02(通巻122)号より


小さな手で小さな雪だるま  錆助
 一月の中旬に私が住むまちでもようやく雪が積もったので、雪だるまを作って遊んでみました。ひとりで。あまりに寒かったので、手のひら大の雪だるまを作って終わりました。この「小さな雪だるま」と変わらない大きさだったかと思います。次回はもっと頑張りたいです。

孫の来る予感肉を買い足す  福露
 スーパーを歩いていると、びびっと何かが来たのでしょう。祖母の第六感というやつでしょうか(あるのでしょうか)。果たしてこの予感は当たったのかどうか。しかし子供は肉が好きですね。

世界の終焉らしい朝湯に浸かる  賢太郎
 特集「粟野賢太郎と中筋祖啓」中の書下ろし十句より。この感覚は、私も覚えた記憶があります。朝湯の湯気のせいでしょうか、どうも世界が終わる気がしたものです。

大きなあくびで今年も終わり  かいじ
 子供の頃は、年越しが楽しくてなりませんでした。テレビでは何か特集をやっていますし、食事もいつもと違いますし、日をまたぐまで起きていてもいいのですから。しかしいつしか、そういう感覚もなくなってしまいました。いつも通り、いつも通りに年を越していきます。

風が方位うしなった炎天の街角  句塔
 句塔の従軍句は、句材が句材なだけに、やや説明的になりすぎる傾向にあるように思います。しかし、いずれも大変興味深いものです。そのような中で、この句は特に好きです。南国の街をさまよっていると、ほのかに涼を感じることができていた風が止まってしまった。その瞬間を句にしたのでしょう。旅に出たくなります。

2013年2月24日日曜日

『草原』25-01(通巻121)号より


咳き込んでる目がまっすぐ  賢太郎
 確かに、咳をしている人の目はまっすぐです。試しに笑みを目に浮かべながら咳をしてみたのですが、無理でした。よく句にしたものと思います。

売女も冷たい冬日  賢太郎
 売女の態度が冷たいのか、身体が冷たいのか、その両方か。拙句に「ほろ酔いの女の冷たい」がありますが、似た景を詠んだもののように思いました。

庭の柿を六個とり孫たちを待つ  福露
 お孫さんが六人か、あるいはご自身のお子さんも含めて六人かわかりませんが、もうすぐ到着です。来たら来たらで大変だと思うのかもしれませんが、楽しみですね。

湾曲した道なりに自転車のわだち  滋人
 自転車の乗り主は、詠み手も知らない誰かでしょう。赤の他人の日常の形跡はいろいろなところに転がっているもので、面白いと感じました。

白髪の母の鼻毛は黒い  ゆ
 鼻毛の方が後から白くなるのでしょうか。てっきり同時進行と考えていました。昔、伸びた白い鼻毛を結んでいるお爺さんと会ったことがありましたが、彼の鼻毛もこうした経緯を経て来たのかもしれません。

一人酒の前掛けは裏だった  かいじ
 この淡々とした滑稽さ。これぞ人の生です。なお、こうした一切の解釈が不要の句、そういう句こそ人びとの心に残っていくのではないかと考えます。

2013年1月24日木曜日

『草原』24-12(通巻120)号より


猫が捕まえてきたバッタの瀕死  滋人
 猫は自身の飼い主に、つかまえた獲物を見せるとききます。ただそれだけのために捕えられたバッタに、早く安楽が訪れることを願ってやみません。
 
クラゲ泳ぐ海に日射し通って行く  啓司
 昔、体が元気な頃、毎夏海で遊んでいました。お盆も過ぎると、少し沖へ出ただけのところに、くらげの大群が発生します。日射しに照らされた彼らはとても神々しく見えましたが、今も変わらず元気にしているのでしょうか。

空にぽこぽこ羊雲  ゆ
 この句を読んで以降、羊雲を見るたびに、ぽこぽこぽこぽこ脳内で音が鳴って仕方ありません。

北側の部屋で苦い水飲む  畦道
 以下二句、鉄塊報告②より。この句にある経験を、子供の頃にした記憶があります。当時住んでいた借家にあった、北側に面した空き部屋へ、親に怒られるとよく駆け込んでいたのです。どちらかといえばあまり楽しい経験ではありませんが、どうにも思い出してしまいました。

愛し方を変えただけだ春の夢  畦道
 「春の夢」の効き方が美しい、個人的に好みの句です。なお私が同様に詠もうとした場合、「愛し方ば変えただけたい」となります。共通語話者のことがほんの少し羨ましくなりました。

『草原』24-11(通巻119)号より


キリンの顔だけ先に見えた  瞭
 動物園でのひとこまでしょう。こういうことをしでかすために、彼らは首を伸ばす道を選んだのかもしれません。違うでしょうが。

夕立にぬれてカラスも私も  啓司
 急の夕立にぬれるほかなかったのは、どうやら私だけではなかったようです。動物は自然現象には敏感とききますから、てっきりカラスも事前に夕立を察知するものと思っていました。人間化しているのかもしれませんね。

あげた花を姪が捨てた  馬堤曲
 折ってあげた紙飛行機を、知人の子に地面へ垂直に投げつけられたことを思い出しました。無駄に勢いがあるのがまた、こちら側としてはさびしい気持ちになります。

秋の海に足を浸す  錆助
 「春の海へ裾をあげる」を思い出します。どちらも、静かな日常のひとこまです。

デジカメと秋を歩く  福露
 現代的な句となりました。山頭火らは、この句をどのように読むのでしょう。デジカメを何ととらえるのか、ぜひめぐり合わせてみたいものです。