2012年5月19日土曜日

『草原』24-03(通巻111)号より


雪夜のしじまに小声になる  風狂子
 雪は音を吸収してしまうという話をきいたことがあります。そのせいか、雪夜はこころなしか静かな気がします。路面が凍結して、車があまり走れないというのもあるかとは思いますが。

傍らに立つ妻が綺麗だ  瞭
 前後の句を読むと、葬儀のひとこまのようです。喪服を着てそばに立つ奥様に、美しさを感じた。あるいは、きびきびと動かれる奥様に惚れ直した。どちらにしても、死の儀式が生を輝かせたということなのでしょうか。

赤くなるまで首までつかる  滋人
 四国遍路の途中、湯船に浸かられたようです。疲れも十分に癒されたのではないでしょうか。いつか私もお遍路をやってみたいと思い続けているのですが、なかなか踏ん切りがつかないといいますか、機会がありません。

生まれた者として死に近づく  かいじ
 私もようやく、周囲が子供を授かる齢となってきました。死ぬために生きているとはよく聞きますが、確かに死は、生まれた者にとっての義務なのでしょう。しかし、この前一歳になったばかりの甥をみていますと、死に近づいているようには見えず、不思議な感じがしました。

しくじった日の大根たたっ切る  権三郎
 くすりときました。ストレスを大根に向けられたのですね。美味しい料理となってくれたならいいのですが。

いのちあり青葉の山の湯にひたる  句塔
 このいのちありは、あまりに重い。青葉の山の湯が、いただいたいのちの美しさを象徴しているように思いました。

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