2012年4月30日月曜日

『草原』22-02(通巻86)号より



  イブのチキンの相手は息子  渓子
 どうも最近のクリスマスイブとは、恋人同士で過ごす日のことのようです。お母様側からしてみれば、「うちの子はクリスマスイブなのに家にいて大丈夫なのかしら」といったところではないかと勝手に想像いたしました。

知らぬ女から喪中の報せ  白兎
人付き合いの多い方ですと、こういうことも多々あるようです。しかしもしも、本当にまったくの他人であるとしたら、ちょっとしたホラーが始まるような気がします。

深酒を悔やんでも晴天  風狂子
二日酔いの日は、私の思い込みでしょうか、晴天が多いような気がします。こんなにいい日なのに外へ行けないというのは、なかなかつらいものです。だからといって深酒を辞めることはないのでしょうけれども。

句にならない冬空を見上げる  ゆ
 どのような空だったのか気にはなりますが、どうやら句にならないものは存在しないようですね。随句に無限の可能性を感じました。

そんなこというもんじゃないよと母は十七回忌  権三郎
お母様の口癖だったのでしょうか。人の悪口や影口を嫌う方であったのではないでしょうか。母に言われたことは、きっといつまでも心の中に残り続けるのでしょうね。

日のあたる野を遠く本を読んでをる  武二
本を読んでいる場所が少し高台になっていて、野原を遠くまで見渡せます。本の中に入っていける、静かで楽しい読書場所なのでしょうね。

『草原』22-01(通巻85)号より


休日のラジオからヨイトマケの唄  風狂子
私がはじめてヨイトマケの唄を知ったのは、桑田佳祐さんによるカバー曲を聴いたときです。以来、美輪明宏さんの歌声もしばしば聴くようになりました。自分のために頑張ってくれる人がいることを思い出させてくれる一曲です。

妻の熱を計るだけの夜  風狂子
風邪で倒れられた奥様を看病していらっしゃるのですね。他の雑事を追うこともなく、奥様を見守っている様子が伝わってきました。

ごきぶり仕留めた妻を誉めちぎる  白兎
 夫婦円満の秘訣を見たような気がします。誉めちぎるがきいています。

枯れ鉢に水かけて声かけている  福露
 植物も人の声を理解するという話を聞きます。生存に必須な水分にくわえて、暖かい言葉をかけてあげれば、彼も再び美しい花を咲かせることができるのでしょうね。

食べる人もないミョウガ枯れはじめた  かいじ
 畑に生えていたミョウガですが、使用することもないためとらずじまいとなってしまったのですね。しかしその枯れ草の下には、次の世代がきちんと育っているのではないでしょうか。

貧乏のあごひげに手がゆく  吾亦紅
 私も同様に、手持無沙汰なときには、ついあごひげをいじってしまいます。しかしもともと髭が薄いため、美髯公と名乗るほどには一生かけてもなれなそうです。周囲からは見栄えが悪いために剃るように言われていますが、きれいなあごひげが生えるのを夢見て、もう少しだけ伸ばし続けるつもりです。

『草原』21-12(通巻84)号より



  片肘ついてリンゴをむく  昭代
長雨が続くなか、室内で暇をもてあましている様と思いました。暇つぶしもかねて、おやつ代わりにリンゴを食べようと思い立ちましたが、外の天気のこともあって、どこか物憂げな雰囲気を醸し出しています。

  駅弁開いて老夫婦向かい合う  敬雄
老夫婦の小旅行といったところでしょうか。一息ついて、楽しみにしていた駅弁をひらいているのですね。車窓には、田園や山の風景が流れています。これまでも、これからも、こうした穏やかな時間を過ごされていかれることでしょう。

  跳ねる光は大粒の雨  福露
深夜の高速道路を車で走っている際にできた句だと想像しました。大雨の中、車のライトで輝いた水玉が、自身の車にぶちあたってきているのです。綺麗な半面、運転に支障がでそうで、少し怖い光の粒となりました。

  振り返れば振り返る女  ゆ
このときの別れは、はたして一時的なものだったのでしょうか。お互いに、話し足りないことがまだあったようです。

  へなへな転任させられてゆく夏草  吾亦紅
上に従うほかない転任だったのでしょうか。力強く夏草が茂っているというのに、ご自身の体にはもはや精力が残っていなかったようです。

  飛ぶのをやめたバッタの眇目  権三郎
戦いか何かで片目をなくしてしまったのでしょうか。しかしここで飛ぶのをやめたのは、休憩のためだけであって、生をあきらめたわけではないと思いたいです。

『草原』21-11(通巻83)号より

ふと恩師の福耳山歩く  滋人
山歩きの最中に、何とはなしに恩師の福耳のことが思い浮かんだのですね。黙々と山を歩いていると、いろいろなことが頭をよぎりますが、恩師の福耳とはいったい何かの予兆なのでしょうか。

空き家の壁に八代亜紀が微笑む  福露
長い間風雪にさらされて色あせてしまった、しかし美しい八代亜紀の微笑みが瞬時に再現されました。いつまでもそこに貼られていてほしいものです。

窓まで伸びている朝顔の朝  敬雄
 そういえば今年の夏には、朝顔を意識して見ることはありませんでした。彼らはどのような顔をして、毎朝を迎えていたのでしょうか。

また繰り返す朝に起きる  ゆ
たまにそういう気分で朝を迎えることがあります。しかし、日々新しいことが実際には起こり続けているのだと、信じて暮らして行くほかありません。

 引き出しの底から笑顔の写真  慶
その笑顔の持ち主は、今は遠く離れてしまっているのでしょう。最近の暮らしぶりなど知る術もありませんが、手元に残されたこの写真からは、その方が幸せに生きていることしか想像できないのです。

 妻は雑巾のようになり何にも言はない冬  棗人
妻とその夫の間に、壁ができてしまっているのではないかと想像しました。その背景には、度重なる苦労によって疲れ果てた妻による、何らかの思いの蓄積があったのではないでしょうか。

『草原』21-10(通巻82)号より


 杖置いて動けない藤棚の風  昭代
散歩の途中で藤棚の下にて一休みしたところ、風が気持ち良すぎて、体が言うことをきいてくれなくなった様と見ました。涼しい、静かな時間です。

出棺はイマジンの曲でと逝ってしまった  福露
 故人もきっと、自身の出棺の様子を嬉しそうに見ていたのではないでしょうか。

 三輪車卒業した孫は一輪車  
 二輪車を飛ばしてしまったようです。子供のころに一輪車を練習した時期がありましたが、ついにはあきらめてしまいました。

 時が移ってもあの時の蝉の声  
 決して忘れられない暑い日々が、作者の脳裏に焼き付いているのですね。

 沢の音届く枕元  へら彦
 沢沿いの宿か、あるいはテントに宿泊した際の句と見ました。涼しい夏の夜の様が伝わってきます。

延命不要の短冊を笹に結ぶ  権三郎
 一読してぞくっとしました。強い意志と覚悟を感じる句です。穏やかな時間を過ごされることを願っております。