2012年12月29日土曜日

『草原』24-10(通巻118)号より


美人に煙草取られる残暑に春か  馬堤曲
 煙草の箱から取られたのか、自分が吸っていたのを取られたのかわからないが、暑いさなかに春を感じる出来事となった。春はいつだって、不意にやって来る。

朝方のバス停で君が手を振る  馬堤曲
 朝方に別れる際のひとこまか、それとも、朝方に出会った際のひとこまか。どちらの景にしても、なんともほほえましい様子である。かと思いきや、この句の後には、「サヨナラだけは耳に残り」、「何もせず振られる」、「こんな日に雨は必ず降るんだ」の三句が続いて書かれていた。

女のしぐさの首が細い  瞭
 女がどういうしぐさをしていたのかは描かれていないが、作者の意識は女の首へと向かった。その意図していなかった細さに、エロスを感じ取ったようだ。拙句に「意外と太い女の線だ」があるが、これは真逆のパターンである。

油虫たたき殺してなんまいだ  滋人
 油虫からしてみれば、あんまりな話である。なんまいだを唱えれば、いくらでも俺たちをたたき殺していいとでも思っているのか!思っているからこその、この句です。なんまいだ。

屁を放る価値を医者が説く  白兎
 思えば屁にも、なんらかの価値があるはずである。今度医者にかかったおり、思い切ってきいてみたい。

愚かを愚かに死を前にいる  かいじ
 すべての生命が、いつだって死を前に生きている。それが訪れるタイミングは、御仏のみが知っているのだろう。とにもかくにも愚かであっても、人参をぶら下げられたロバのように、何かを求めてもがき進むほかないのだ。

2012年11月20日火曜日

『草原』24-09(通巻117)号より


こだま正しくこだまする  瞭
 こだまをきいて、「うむ、正しい」と頷いている作者を想像してくすりときました。今度山へ行った際に、私もその正しさを検証してみます。

人に運転させて明るい月を見ている  瞭
 私はドライブが好きなのですが、免許をもっておりません。そこでドライブをする(?)際には、いつも助手席です。我ながら、いい身分と思いながら、月やらきれいな景色を見て楽しんでいます。その分、ガソリン代は多めに払いますが。

ひとり砂浜に居れば散歩する人に挨拶される  啓司
 スーツ姿で砂浜に座って海を見ているサラリーマンを思いました。砂浜の近くに住んでいる人にとっては、日常の散歩コースなのでしょうね。犬を散歩させている人も、よくいるように思います。

のこすものもたず六十になる  句塔
 草原に掲載されて早数か月、戦地に赴く若者だった句塔も、齢六十となりました。私の祖父と同世代の男の人生を、句の中に追ってきましたが、とても不思議な感じがします。

蚊遣焚いて昼をひとりの幕舎かな  北村旅団長
 メレヨン句集掲載句の中でも、北村旅団長の句がたいていいつも私のつぼにはまります。ひとりの幕舎とは、まさしく旅団長らしい句です。個人句集など出していないのでしょうか。

仰ぎ見る銀河に千代の物語り  野原少尉
 現代日本に生きる私たちには、なかなか見られないような銀河が広がっていたのでしょう。千代どころではない、はるか昔の星の光が、戦士たちを見守ります。

2012年9月2日日曜日

『草原』24-08(通巻116)号より


塩鮭ほぐして新茶のお茶漬け  白兎
 腹がたまらなく鳴る句となりました。塩鮭もさることながら、作者は静岡の方ですので、新茶もまた格別においしそうです。

予備校の宿舎から止まらない目覚ましの音  啓司
 作者の住居の近くに宿舎があるのか、あるいは通勤路にあるのか不明ですが、朝の五時や六時といった時間に鳴っているのでしょう。それも毎朝、止まることなく鳴りつづける。目覚ましの主は、はたして起きて勉強することができているのでしょうか。

足跡に雨たまる  風狂子
 短い何気ない句ですが、この景を詠んだ句は記憶はありません。よく気付かれたなと思いました。

ビール半額まずは2杯目  明人
 既に一杯目は飲んでいる、というところが面白いです。ほとんど下戸の私には、ビール一杯で十分でして、二杯、三杯と飲める方がうらやましくてなりません。

傷つきやすい女に逢う爪を磨ぐ  ゆ
 相手が傷つきやすい女でしたら、爪をしっかりと磨いで会うことが必要なのでしょう。このさりげない気づかいを、女は気付いてくれるかどうか。 

ひとつずれた席に知らない温もり  慶
 列車の中でのひとこまでしょうか。よくよく考えてみれば、知っている温もりの方が世の中には少ないですね。知らない誰かではありますが、温もりを忘れた機械ではなく、温もりをもった人間であったことがわかってよかったのかもしれません。

『草原』24-07(通巻115)号より


お経に飽きてハナミズキ  馬堤曲
 ハナミズキといえば、一青窈(ひととよう)の「ハナミズキ」の楽曲を思い出します。一青窈は、台湾人の父と日本人の母をもつ女性シンガーで、個人的に、彼女の歌が好きなのです。お寺の庭に、紅く咲いているのでしょうか。

スカイツリーが一面の朝の新聞配っていく  啓司
 恥ずかしながら、スカイツリーというものの存在を知ったのは、この前の三月の半ばのことでした。地方に在住していることに加えて、テレビも家になく、新聞もとっていないため、知ることなく過ごしておりました。東京の知人が来福した際のお土産がスカイツリークッキーでして、「これ、なんですか?」と聞いてしまったのでした。

朝が来て蛍籠の中の死骸  風狂子
 蛍狩りの翌朝の景でしょう。お子様も悲しまれたことでしょう。蛍はほんとうにはかなく散っていきます。

玉子かけご飯に玉葱の味噌汁  白兎
 夕飯前のお腹がすいた時間帯にこの記事を書いているせいか、この句が目に焼き付きました。お腹的に魅力のある句です。

古地図の日本が大きい東洋文庫  ゆ
 東洋文庫には、ここ十年、断続的にお世話になっています。珍しい文献を多く所蔵しているのです。ただ、古い文献になるとなかなか貸してくれず、また、コピーを頼むと一枚二十円と、通常の二倍の金額なのがネックです。

ふるさとは逃げ水の先  慶
 逃げ水が、ふるさとへ続く道へあらわれたのでしょう。思えばふるさともまた、逃げ水に輪をかけたような幻なのかもしれません。

『草原』24-06(通巻114)号より



爪切って小さな爪や大きな爪  啓司
 小指の爪から親指の爪まで、いろいろな爪があるはずですが、なかなか意識してみませんね。あるいは、子供の爪と大人の爪が混ざっている有様でしょうか。

小さな女丸ごと抱く  ゆ
 小柄な女性とのひとときのようです。丸ごとというところに、男らしさを感じます。

抱いて抱かれて夢であったか  かいじ
 この句には、一種の桃源郷を見ました。あまりに愛しい夢でした。

雨のさくらの妻の墓にきた   句塔
 春雨の中、妻の墓参りにきたようです。美しいひとこまです。なお、この句は、句塔の句集『父子』に掲載されています。この句を目にするまで、句集の名前まで意識しておりませんでした。

子が春へ花のたねまく  句塔
 幼子でしょうか、春を共にすごしている様子ですね。この種が、日本の高度経済成長となっていったのでしょう。

つはものゝ命に代れ芋の蔓  北村旅団長
 以下二句、『メレヨン自活句集』に掲載されている句とのこと。戦時中、メレヨンに駐屯した部隊内で句会が開かれており、その成果をまとめたもののようです。芋を植えて自活していたようですが、さすがは旅団長、部下のことを案じていたようです。強さを感じる句 です。

この芋は一キロありと奪ひ合い  岩尾少佐
 芋を植えて後、収穫しているさいのひとこまです。ほほえましくもみえますが、食糧難にあったようですから、案外血みどろの争いとなっていたのかもしれません。これら二句以外にも、いい句が多く、『メレヨン自活句集』を読んでみたくなります。

『草原』24-05(通巻113)号より


もの言わぬ酒の澄み切っている  明人
 日本酒か焼酎でしょうか。昔飲み会で、焼酎の注がれたカップをしみじみ見ながら、「この澄んだ水をみろ。ここにすべての歴史がつまっている」と言いながら泥酔していった先輩を思い出しました。確かにもの言わず、美しく澄んでいます。

梅林の花びらが昼シャワー  操子
 贅沢な昼下がりとなりました。朝シャンならぬ昼シャンというところでしょうか。すがすがしいです。

晴天の朝にダンゴムシつついている  馬堤曲
 なぜこの日この時よりによってダンゴムシをつつくことになったのか。どう問われようとも何の理由もないだろうところに、面白みがあります。

春キャベツの鮮やかな緑色  啓司
 行きつけの食堂の味噌汁に、キャベツが入るようになりました。これまで味噌汁の具にキャベツというのは思いもしない組み合わせでしたので、最初はとまどいましたが、食べてみるととにかく美味い。キャベツ味噌汁を知らなかったこれまでの人生、少しばかり損をしてきたように思いました。

眠る児の睫に見入る  福露
 子供の睫は気のせいか妙に長く、また美しくみえます。ついつい見入ってしまう気もちがよくわかります。健やかに育ちますよう。

子が五年生になる妻の五回忌  句塔
 子が学校を卒業すると、このカウントもできなくなります。少しずつ時は流れて、子は大人になっていくのでしょう。

2012年5月19日土曜日

『草原』24-04(通巻112)号より


父を罵るお人もあって  瞭
 いろいろな人がいる世の中です。「お人」と「あって」に、作者の心情が込められています。

座った席に後悔している  明人
 いったいどのような席に座ってしまったのでしょう。周囲がやかましい席だったのか、ガムがくっついている席だったのか。とにもかくにも、降りるまでは我慢です。
 
月とわたしと青い  馬堤曲
 月夜に歩いている様を想像しました。青白い月の光が美しい夜、月とふたりの逢瀬だったのです。

女一人の足音に鳥の羽ばたく  渓子
 ヒールの高いくつをはいていたのでしょうか。「女一人」に何が込められているのか、意味深です。
  
暦めくり春を待つ  風狂子
 ユーミンの「春よ来い」が流れてくる句です。日本人は、あるいは人は、どうして春を待つのでしょう。単に気候的に快適だからではない気がするのです。なおこの文章を書いている現在、ユーチューブで「春よ来い」を流しております。

雪に遭ったと言う女を抱く  ゆ
 生を詠った美しい句です。冷えた女を温めるのに、他に手立てはないでしょう。先にも書きました「春よ来い」がまだ流れています。かの歌は、この句にもよくあいます。

眠って醒めて春はすぐそこ  かいじ
 くどいようですが、「春よ来い」を聞きながら書いております。こちらは積極的に春を待っているというよりも、時の流れに身を任せている感じがします。季節に寄り添って、ゆっくりと生きていくのです。

『草原』24-03(通巻111)号より


雪夜のしじまに小声になる  風狂子
 雪は音を吸収してしまうという話をきいたことがあります。そのせいか、雪夜はこころなしか静かな気がします。路面が凍結して、車があまり走れないというのもあるかとは思いますが。

傍らに立つ妻が綺麗だ  瞭
 前後の句を読むと、葬儀のひとこまのようです。喪服を着てそばに立つ奥様に、美しさを感じた。あるいは、きびきびと動かれる奥様に惚れ直した。どちらにしても、死の儀式が生を輝かせたということなのでしょうか。

赤くなるまで首までつかる  滋人
 四国遍路の途中、湯船に浸かられたようです。疲れも十分に癒されたのではないでしょうか。いつか私もお遍路をやってみたいと思い続けているのですが、なかなか踏ん切りがつかないといいますか、機会がありません。

生まれた者として死に近づく  かいじ
 私もようやく、周囲が子供を授かる齢となってきました。死ぬために生きているとはよく聞きますが、確かに死は、生まれた者にとっての義務なのでしょう。しかし、この前一歳になったばかりの甥をみていますと、死に近づいているようには見えず、不思議な感じがしました。

しくじった日の大根たたっ切る  権三郎
 くすりときました。ストレスを大根に向けられたのですね。美味しい料理となってくれたならいいのですが。

いのちあり青葉の山の湯にひたる  句塔
 このいのちありは、あまりに重い。青葉の山の湯が、いただいたいのちの美しさを象徴しているように思いました。

『草原』24-02(通巻110)号より


子供まっすぐ走る  滋人
 そういわれてみれば、彼らは直線上を走るのに長けている気がします。バランス感覚の問題でしょうか、百メートルも走れなくなった私には難しそうです。

石段登ったらおはよう  馬堤曲
 神社でしょうか、石段を登りきったところで声をかけられたのですね。朝のすがすがしいひとこまです。

死の何が辛かろう月蝕  瞭
 考えてみれば、死の何を恐れるのでしょう。強いていえば、大事な人に会えなくなることでしょうか。死そのものではなく、それによって付随して起こる事柄がいやなのかもしれませんね。考えさせられる月蝕となりました。

逆援交メール貰っても古希の身  ゆ
 私のところにも、しばしばこういうメールがきます。返信してみたい誘惑にかられますが、怒られてしまいそうなのでやめております。

むき出しの葱しょげている  権三郎
 葱の様子がよくわかる句です。何か悩みごとでもあったのかもしれませんね。

雨にあけくれ兵隊犬を捕っては食う  句塔
 そんなに犬が多くいる島だったのでしょうか。赤犬がうまいと以前に小耳にはさんだことがありますが、どうなのでしょう、肉食獣の肉は臭みが強いイメージを持っています。

『草原』24-01(通巻109)号より


悪戯が障子を破る  福露
 罪を憎んで人を憎まず、でしょうか。年末に帰省した折、実家の障子が破けていたのですが、案の定、ようやく立ち始めた甥によるものでした。

どんぐりを蹴った先にもどんぐり  滋人
 例年ですと、秋の涼しい時期に友人と軽登山を行っていたのですが、昨年は結局一度も登りませんでした。心の余裕に欠けておりました。どんぐりを眺めながら、ゆっくりと歩きたいものです。

独り歩きしている父の句にあう  瞭
 こういう出会いは嬉しいですね。時を越えて独り歩きしていく句を、世に送り出したいものです。

この矢印の先はどこだ  権三郎
 確かにどこなんでしょう。現代句ですと、「この↓の先はどこだ」と、矢印の部分が記号になってしまいそうに思いました。完全に余談ですが、イスラーム教徒は、サウジアラビアにある聖地マッカ(メッカ)に向けて一日五回礼拝をしますが、日本にいる彼らは「北西」へ向かってやるそうです。未だに腑に落ちません。

ゴミに出すイスに掛けてみる  慶
 いざ捨てようとすると、愛着が湧いてくるものです。御苦労さまと労いたくなりますね。

ジャワの朝の雀の声  句塔
 異国の地にて、日本で見たのと同じ風景を見たのでしょう。以前にウズベキスタンに行った際に、雀の声で目が覚めて違和感をおぼえたことを思い出しました。木村緑平なら、どう詠むのでしょうか。

『草原』23-12(通巻108)号より

今も昔も子供の小径  馬堤曲
 子供が遊ぶ場所はいつだって変わらないということでしょう。しかしそうかと思いきや、実家付近の私の秘密基地があった空き地には住宅が立ってしまっていて、残念なことになりました。

切手斜めに貼ってみる  福露
 ささやかな反逆心をよみました。世界への挑戦です。

まっすぐ伸びてシオンの花の紫  啓司
 紫の色濃く、世界に映えている様が伝わってきます。まっすぐ伸びてが強いです。
 
しみじみ寒ければ夜更の畳の目  裸木 
 畳の部屋にいると落ち着きますが。音がしない夜や寒い夜には、畳の目が急に攻めてくるような錯覚を覚えます。私だけでしょうか。

首筋にいない虫はらう  権三郎
 同様の事柄として、鳴っていないのに携帯が震えたというのもある気がします。

線路の夏草同じ向き  慶
 列車からの風によるものでしょうか。夏草もよくもまああんなところに生えたものです。

『草原』23-11(通巻107)号より


地獄を見る目が写真に残る  瞭
 原爆資料館へ行った際に詠まれた句のようです。あの日あの場所には、間違いなく地獄が広がっていたことを忘れてはなりません。

洪水の水に浸かれば生ぬるい  啓司
 状態がよい日本では、洪水による病気の心配も少なくて済むところがまだましのように思います。

寝疲れて汗の朝  ゆ
 朝起きた時の倦怠感がまた日本の夏といった感じで、楽しくなりました。

屋根の上まで芽吹かせて書いておられる  裸木
 師の自宅の様子を詠った句のようです。周防一夜会の久光良一さんの句「まずしい暮らしの屋根に青空のせている」につながる情景のように思います。

宗教には乗れない遠い耳である  かいじ
 耳が遠い方には、宗教者もどうしようもないようです。最近耳が遠くなった祖父宛に知らない男から電話があったそうですが、相手が何を言っているのかわからなくて自分から切ってしまったとか。大事な話でしたら耳が聞こえない祖父に直接電話で言うことはないでしょうから、何かの詐欺であってうまいこと難を逃れてよかったのではないかと母と話しておりました。

『草原』23-10(通巻106)号より


会話のない親子で牛丼  滋人 
 私と父も、ほとんど会話のない親子です。口を開いたとしても、もっぱらお金の話で、雑談はまずもってしません。しかしそういう親子として、生まれてこの方過ごしてきている以上、特に不自由もないのです。

古布一気に裂いて人形の着物  渓子
 布を裂く音が聞こえてくるような句です。こうした再利用の感覚は、私たちの世代では薄れてきているように感じます。なんとしても、後代に残したい知恵です。

聞きとれず聞き流せば私への質問  昭代
 私の祖父も、最近耳が遠くなってきました。先のお盆に帰省した折、祖父とふたりでテレビを見ておりましたが、私の言っていることはほとんど祖父の耳には届かないようで、会話らしい会話はできませんでした。しかし、それはそれで楽しい時間でした。

拡大文字の句が胸をはみだす  昭代
 拡大鏡か何かで、句を読んでいらっしゃったのですね。よほど感動的な句だったのでしょう。好きな句です。

膝の痛み強く雨の法事  操子
 痛みと雨と法事と、憂鬱なことが重なる日でしたね。

短いスカートの短い脚のそそくさ  ゆ
 農耕民族であったがゆえでしょうか、胴長短足は東洋人の必然です。その分和服が似合うので、私は自身の体型を誇ります。

花に埋もれた耳にも届け惜別の辞  かいじ
 「届け」という言葉に、詠み手の想いを感じ取りました。きっと届いたものと、強く信じます。

『草原』23-09(通巻105)号より


水遣りの妻が百合の花粉つけてきた    白兎
 日ごろから、よく奥様を観ていらっしゃる様が伝わってきます。夢道を思い出しました。

山に行った頃の遺影に手を合わす  滋人
 若くして、山で逝かれた方だったのでしょうか。さわやかな笑顔で映っている気がします。

退職の晩は家族で外食イタリアン  滋人
 若輩者の私には、まだまだまだまだ遠い将来の話です。数十年に渡ってご家族のために働かれ、感謝されてきたことがわかる句です。お疲れさまでした。

ガラスの裏の矢守孕んでいる  瞭
 孕んだ守宮など、これまで見たことがありません。ガラス越しですと、腹の様子がよくわかりますね。今度気をつけて観察してみます。
 
長寿世界一の行方不明五〇〇一人  ゆ
 外国人の友人に話すと、「Crazy !」と「Why ?」を連呼されました。なぜと聞かれましても、私が知りたいほどです。

むなしいだけの辞めろ辞めろが響く  かいじ
 昨年の十二月にチュニジアで始まり、中東全体に拡散した「アラブの春」は、非常に衝撃的な出来事でした。その是非については、まだ今後を観察してから求めるべきことでしょう。そもそもいわゆる民主化を、ベターな政治体制と言うには躊躇いがあります。しかしともかく、現在日本の政治状況は、「アラブの春」以前の中東よりもひどい状態になっていると感じるのです。

『草原』23-08(通巻104)号より


 よいとまけ唄って妻の気を引く  白兎
 台所で立ち仕事をしている奥様の背中に向かって、大きな声で唄っている様を想像しました。はたして相手にしてくれたのでしょうか。

 袖に蚊を連れている  福露
 たまにこういう風景を見ます。袖口から中に入り込もうとしているのでしょうか。

 一人の居酒屋に心地よい言葉の波  明人
 あのがやがやとした雰囲気は、私も好きです。ある種の無音状態ですね。

 山を降りてサイダーの自販機  滋人
 しかも、普段ききなれないメーカーの自販機であったりします。さらに、百円の名水サイダーとか、つい購入したくなるラインナップになっているのです。よく考えられています。

 キャバ嬢が愛を説く新月  風狂子
 これほどコメントしがたい愛はありません。口だけの愛かもしれませんし、自身が経験してきたことを語っているのかもわかりません。判断が難しいところです。

 自解にどよめく作者が男  ゆ
 いまだ句会というものに参加したことがないのですが、何やら楽しそうな句が提出されたようですね。いったいどんな句だったのでしょうか。

 濡れた喪服を払う  慶
 これもひとつの穢れ信仰かもしれません。この句のもつ感覚を、他国の方々は理解できるものなのでしょうか。

『草原』23-07(通巻103)号より


 続けて飲む新幹線の酒の旨い  明人
 列車内でスーツを着た男性が飲んでいるのをたまにみかけますが、旨そうにやっています。すぐに顔が赤くなってしまうので、私には真似できません。

 髪梳く老女は生娘でいる  渓子
 よく、男性はいつまでたっても子供のままで、女性はそうではないとききますが、そんなことはないのですね。

 砂丘の風に吹かれ枯井戸を見下ろす  瞭
 友人が海外の砂漠地帯で仕事をしていました。砂漠の中にいくつか村が点在するのですが、そこに水を通す仕事です。以前に使っていた井戸はもう枯れてしまっていたそうです。しかし昨今の情勢によって、そのプロジェクトも休止になってしまいました。

 テレビ台の裏から亀が出てくる  瞭
 これはもう、こういう状況があるのか、と驚くほかありません。テレビもその台も、亀もいない我が家では、詠めない句です。亀も室内を散歩するんですね。

 冷蔵庫ひらいてしばらく考える  福露
 たまにあります。電気代が気になりますね。

 春の日の中へお灸のけむり  敬雄
 放哉の辞世の句を思い出しました。春と煙は、よく合う組み合わせなのかもしれません。

 電話切ってしゃからしかはどこの言葉  ゆ
 私の地元では、「せからしか」と言っておりました。共通語かと思っておりましたが、違うのかもしれません。意味はなんといいましょうか、まあ、せからしい、ということです。

『草原』23-06(通巻102)号より


 鳴かない鳥が歩いている  滋人
 鳴かない鳥にはどういう鳥があるのか考えてみましたが、ついに思いつきませんでした。黙々と思索をしながら歩いている烏の姿は出てきたのですが。

 出てきた亀の首がながい  瞭
 亀が住んでいる池が構内にあり、たまに彼らを眺めて過ごしております。晴れた日などは、池の中にある石の上に登って首を伸ばしておりますが、確かに意外と長いのです。どうやって甲羅の中におさまっているのでしょうね。

 花型の障子シールだらけの障子  瞭
 かわいらしい、また春らしい?障子となりました。同じ作者の句に、「猫の爪痕に障子シールを張る」とありますので、犯人は猫ですね。

 返事はいらないの怒ったメール来る  明人
 以前は携帯でメールを送ることはほとんどなかったのですが、最近よく使うようになりました。パソコンメールですと文章を推敲するのですが、携帯メールですと勢いで書くところがありますので、たまにすれ違いが生じます。怒った絵文字がついていたのでしょうか。

 八階の窓を花びら横切る  ゆ
 四階以上の高さの建物に住んだことがないので、高層に住むことに少し憧れを抱いております。しかし結構高くまで、花びらは舞い上がるものですね。

 口の利けない病人に桜を見せる  かいじ
 病室のカーテンを開いてあげたのでしょうか。それとも桜並木を一緒に散歩されたのでしょうか。桜を見ているだけで、元気になってくれそうです。

『草原』23-05(通巻101)号より


 馬酔木の前で妻がしゃべる  瞭
 開花の話でしょうか、何気ない日々の会話でしょうか。しかしあせびを前にして、奥様もまた一段ときれいに見えたのではないでしょうか。

 フキ味噌が旨いと徳利三本  操子
 帰省した折、母に食べさせられました。お酒はでてきませんでしたが、確かに旨い。うろ覚えですが、辛子が入っていたようにも思います。日本には、いろいろと季節感のある美味しい食べ物があります。また来年も食べたいものです。

 煮えた飛龍頭が妻の味になる  白兎
 飛龍頭という料理は、これまで知りませんでした。インターネットで検索したのですが、いや、これは美味しそうです。料理上手な奥様ですね。

 乗り換えて聞く故郷なまり  滋人
 故郷行きの列車に乗り換えられたのでしょうか。なんとなく、落ち着く瞬間です。故郷は、もうすぐです。

 孫遊ばせて蓬摘む  福露
 何をして遊んでいたのでしょう。そしてお孫さんの夕食は、蓬料理となったのでしょうか。春のおだやかなひとこまです。

 街は少女を溢らせたバスが疾走する春  武二
 女学生を連れていく、通学バスだったのでしょうか。世代差のせいか、そういう場面に出くわしたことはありませんが、春の陽気を感じました。

 オニギリ買って花粉を浴びて帰ってきた  かいじ
 花粉症の方には、とにかくつらい季節だったようですね。おにぎりを買いに外に出るにも一苦労です。

『草原』23-04(通巻100)号より


 老いの痛さを生きる  昭代
 子供の頃、痛みは生きている証拠という話をきいて、そんなことがあるものか、痛みを感じるくらいなら死んだ方がましだ、などと思った時がありました。大人になってようやく、それでも生きたいから生きているということに思い至りました。

 投票日の静かな霜柱だ  福露
 寒い日の朝の風景ですね。投票用紙をもって外に出たら、ざくっという音が足元から聞こえてきます。周りには他の何の音もなく、ただ自分の歩みにしたがって、ざくっ、ざくっと音が刻まれて行く。楽しい朝です。

 枯れ野の先に人ひとり  滋人
 まれにこういう場面に出くわしますが、一体彼がどうしてそこにいるのか、いつもわかりません。子供の頃は、ユーフォーを待っているのではないか、あるいは幽霊ではないか、あるいは死体を埋めているのではないかなどと想像して楽しんでいたものです。

知らんオヤジのカラオケが沁みる  風狂子
 小さな居酒屋などで、たまにえらく上手に歌をうたう方がいらっしゃいます。こちらも心の準備をしていないせいでしょうか、いやに彼の歌が沁みてくるのです。またそういう方に限って、歌のチョイスもうまい気がします。

 乗り遅れて逢瀬延びた  ゆ
 楽しみは後にとっておくものだともいいますので、この乗り遅れは結果としてポジティブに作用したのではないかと思いました。約束の時間に遅れて、怒られてしまったのかもしれませんが、延びた分だけ楽しい逢瀬になったことでしょう。

『草原』23-03(通巻99)号より


 夜の黒い氷に滑った  啓司
 これはたまにありました。夜にまぎれた氷は、危険なことこのうえありません。夜がしかけた罠のようにすら思えてきます。

 黒い実ついばんで黒い糞    滋人
 鳥の食事と排泄の様子ですね。鳥のことはよくわかりませんが、食べたものがそのまま出てくるのでしょうか。おもしろいものです。

 屋根に出た月と見合う  瞭
 急な出会いに、お互いに驚いてしまったようです。あまりにきれいな相手ですと、一瞬息が止まってしまいます。

 冷えた尻陽射しに移す  ゆ
 冬の陽射しは、とにかく優しいものです。子供のころはよく、陽射しのあたる縁側に寝っ転がって昼寝をしていたものでした。

 家が建つてしまへば静かな冬日になつてゐる  武二
 しばらく続いていた建築音も、ついにはやんでしまったのですね。いつも通りの静かな日常が戻って来たようです。ところで彼の他の句に、ビルディングやフロントガラスといった輸入語がみられました。これらの単語が、昭和初期には既に日本で用いられていたかと思うと、不思議な感じがしました。

 手袋ぬいだ握手がふたむかし  権三郎
 久方ぶりの再会だったということでしょうか。しかし、手から伝わって来る温かみは、ふたむかし前と変わっていないような気がします。

『草原』23-02(通巻98)号より


 ゴリラの背中向けたまま  風狂子
 動物園でのひとこまですね。空気を読まないゴリラだったようで、残念です。もっとも、そんなことをゴリラに求めるわけにもいきませんが。

 皆帰る家がある渋滞に並ぶ  福露
 夕方の渋滞に巻き込まれると、いつも心が落ち着きます。「皆帰る家がある」ことを実感できるからかもしれません。サナでは、お昼時にも渋滞が起きます。お昼を家族と一緒に食べるために、皆家へもどるためです。

  猫に寝床を空けさせる  瞭
  愛猫に寝床を占拠されていたのをどかしたのでしょう。しかし床に就いた後、結局戻って来てしまう気がします。冬場なら暖かくていいですね。

  また散ってくるもみじ  敬雄
  ここでのまたは、一年ぶりのまたではないかと考えました。いつの間にか時が流れて、同じ季節がめぐってきたのです。四季のすばらしさを実感しつつある、今日この頃です。

  眠れない妻の付添いは眠い  白兎
  奥様が入院か何かをされて、付き添っていらっしゃるのですね。付添いの方が先に寝入ってしまうことも、確かにままある気がします。快癒されますよう。

  サンタが似合いそうな白い眉だ  かいじ
  友人か、あるいは街中で見かけた人か、いずれにしてもつい目が行ってしまうほど、立派な白眉だったのですね。お髭の方はいかがだったのでしょう。

『草原』23-01(通巻97)号より


  パン焼く匂いを歩く  福露
  パン屋さんのそばでしょうか、それとも住宅街の中でしょうか。暖かくておいしい匂いの中を歩くと、お腹がなってしまいそうですね。

  風邪ひいて寝て聴く雨音  啓司
  寝床では、いろいろな音がいつも以上に聞こえてきます。特に病床にあると、触覚も敏感になる気がします。

  皆の後ろから社を覗く  渓子
  出遅れてしまうと、こういうことがままあります。いざじっくり見ようとする頃には、皆帰り支度をしているのです。場景がありありと浮かびました。

  葬式から帰った体で女を抱く  ゆ
  一見奇異にうつるかもわかりませんが、死を見た後だからこそ、生が恋しくなるのかもしれません。

  ゆずられた席のぬくもり  権三郎
  心も体も暖かくなる席に座ることができてよかったですね。冬場ですと特に、ありがたいものです。

  振りかえらないあなたを見送っている  慶
  類句がありそうですが、素直に心に入ってくる句で好きです。これはいったい一時の別れだったのでしょうか、それとも永久の別れだったのでしょうか。

  夜のひとりのビールが冷える  かいじ
  お昼のうちに冷蔵庫に入れていたビールですね。そういえば私は、冬場は冷蔵庫の電源を切っておりました。ビールは陽があたらないベランダに置いておき、帰宅後ベランダからとりだして飲んでいたものです。

『草原』22-12(通巻96)号より


 潮風の鼻の奥のしょっぱさだ  風狂子
 先日、紅海沿岸の港町に行った際に、同じことを感じました。確かに、鼻の奥がしょっぱくなりますね。

 背伸びするスカートのみじかい  敬雄
 以前に欧米人と話していた時のことです。「日本の女子高生は冬でも短いスカートをはいているが、あれはなんらかの修行か、あるいは罰なのか」と真顔できかれました。また同時に、「中身は見えるのか。見てもいいのか。」とも言っておりました。背伸びすると、見えてしまいそうですね。

 子どもら帰る茶垣茶の花  瞭
 茶垣の前が通学路になっているのでしょうか。子供の頭と茶の花が並んでいる様が、目に浮かびました。

 ローカル線の一番列車は空っぽ  啓司
 満員の地下鉄に乗った後に、空いたローカル線に乗り換えるとほっとします。採算はとれているのだろうかと、いらぬ心配をしてしまうこともありますが。

 鉢倒れてなめくじ十数匹  芳江
 数が多すぎます。二三匹ならともかく、十数匹のなめくじが出てくるのを見たら、一瞬息がとまってしまいそうです。

 露天湯に落葉と孫と浸かる  福露
 気持ちよさそうですね。紅い葉っぱと一緒に入浴できて、お孫さんも楽しまれたのではないでしょうか。

 冷えた布団も温まった夢  ゆ
 具体例はいまいち思いだせないのですが、こういう夢を見ることがたまにあるような気がします。夢の中で何か温かいことをしていたのでしょうね。

『草原』22-11(通巻95)号より


  帰りも山羊と見合う   
  これもひとつの一期一会でしょう。山羊はどこにでも登るものですが、日本にいる山羊も車の上に乗っていたりするのでしょうか。

  坂を下りゆく葬列  瞭
  静かな句となりました。一人の生が終わり、送られていく様がきれいに描かれていると思います。田舎の光景かと思いますが、いかがでしょう。

  一面の稲の波くる  敬雄
  気持ちのいい秋風が吹いているのですね。美しい水田は、東アジアならではの風景ではないかと思うのです。今、一番見たい風景です。

  土産あふれるほどの旅の女  滋人
  たまにお土産を大量に買い込む人を見ますが、気のせいでしょうか、女性に多い気がします。このまえサナアでたまたま出会った日本人女性の方も、これでもかというほど購入しておりまして、驚いてしまいました。

  間違い電話も一人居の事件  ゆ
  一人暮らしですと、何気ないことでも印象に残ってしまいます。ただ間違い電話があっただけのことなのに、いろいろな人にそのことを伝え回ってしまうのです。
  
  助けた落ちぜみからおしっこ  慶 
  彼の生はいまにも終わろうとしているのに、排泄器官はなお彼を生かそうとしているのですね。我々よりもはるかに速く老いていく蝉は、いったいどのように世界を見ているのでしょうか。

『草原』22-10(通巻94)号より


友の寝息に本を広げる  芳江
誰かの寝息が聞こえる部屋というのは、読書に最適のように思います。理由はよくわかりませんが、落ち着いて本の世界に入っていけるのです。昔、高校生だった頃、テレビの音や家族の話声が聞こえる居間で勉強をしていたことを思い出しました。

空き缶拾えばウヂャウヂャと蟻  風狂子
日本の夏が恋しくなっているようで、今回の風狂子さんの夏を読んだもろもろの句は、とても印象深かったです。その中でもこの句は特に、私を懐かしい気分に浸らせてくれました。子供の頃、よく見た、よくやった情景でした。

雨のなか雨合羽のなかにいる  啓司
大雨に降られている状況を想像いたしました。大雨と合羽によって、二重に世界から遮断されているようで、おもしろいです。

炎天に赤子抱いている  福露
夏の暑い日に、お孫さんと一緒にいられたのですね。今年の日本は酷暑だったとききますので、へたをすれば、人間同士でくっついている方が涼しかったのかもしれませんね。

うなじに重い蝉しぐれ  瞭
蝉しぐれの中を、少しうつむき加減で歩いている状況ではないかと想像いたしました。首のところに、のっそりと蝉の声が乗っかっている様が目に浮かびます。

もりもり盛り上がる泡に口が尖がる  ゆ
一瞬、雲へ歩むのだろうかと思いましたが、ちがいました。これは夏のビールですね。おいしそうです。個人的には、枝豆や唐揚があると、もう何も言うことはありません。

『草原』22-09(通巻93)号より


ホームから見える足湯の足  操子
電車のホームの真ん前に、足湯があるのですね。電車から降りると、湯気と足が見える。いったいどこの駅でしょう。行ってみたいものです。

庭のひかりに猫の背ほそる  瞭  
庭のひかりとは、庭に入って来た月明かりではなかったかと想像いたしました。その月明かりに猫が照らされて、背中のところが細く見えているのです。音のない風景です。

荒波きびしい浜に電話ボックス  瞭
最近は、電話ボックスを見る機会も減ってきました。電話会社の方で回収して行っているのでしょう。しかし、人気のない海岸の電話ボックスなど、ついつい見過ごしてしまっているのではないでしょうか。この電話ボックスは、何を考えて浜辺に立ち続けているのでしょうね。

言い訳も言えず合祀墓の骨たち  ゆ
死人に口なし、ですね。彼らのことをどのように利用するも、どのように非難するも、生きている人間の自由です。悲しいものです。
 
佃煮のイナゴの手足かしこまっている  権三郎
実は私は、佃煮のイナゴというのを食べたこともなければ、現実に見たこともありません。テレビや本で見知っている程度です。しかし、手足かしこまっているというのは、うまい表現だと思いました。

僧侶木陰でけいたいメール  慶
  僧侶の袈裟と現代的な機械というのは、どうにも違和感を覚える組み合わせです。バイクに乗っていても、どこかおかしくみえてしまいます。という話を友人の僧侶にしたところ、「自分でも少し気になっている」とのことでした。

『草原』22-08(通巻92)号より



思い出を折りたたみ古手紙  芳江
ついついその内容や送り主のことを想像してしまいます。きっといつまでも、机の中に大事に保管されているのでしょうね。「折りたたみ」と「古手紙」の韻も好きです。

夜明けの空に生まれたてのさえずり  敬雄
つばめでしょうか、新しい生命のさえずりで目覚められたということでしょう。なかなか遭遇することのできない機会ですね。

雨のぬれた足音で配達していく  啓司
配達をする自分自身の足音なのか、それとも自身は室内にいて、配達人の雨音をきいているのか。しかしどちらにしても、ぐちょぐちょになった道を配達に走るというのは、大変です。

父の日の焼鳥がチンと鳴る  白兎
せっかくの父の日ですが、家には誰もおらず、できあいの焼鳥をチンして、ひとりで一杯やろうとしているところを想像しました。

覚めればやっぱり白い壁  昭代
入院中のひとこまですね。無事に快癒されたのでしょうか。病院の白い壁は確かにきれいで安心させてくれるのですが、時に吸い込まれそうな、あるいは閉じ込められて二度とは外へ出られなさそうな、そんな恐怖を覚えることもあります。

散歩の月を背にドアを閉める  まゆみ
玄関のドアをあけると、月明かりが室内に入っていき、自分の影が廊下にのびている様が浮かびました。月明かりの下での散歩は、気持ちがいいものですね。

『草原』22-07(通巻91)号より


鴉の目当ての枇杷が色づく  白兎
 鴉にしてみればご馳走にありつけ、枇杷にしてみれば種を運んでもらえる、双方ともに待望の頃となりました。鴉から枇杷を守りたい人間だけが、そわそわしている気がします。

初蝉の海岸の松原に鳴く  啓司
 以前に暮らしていた福岡にも松原の海岸がありまして、夏などはそこを通って浜辺に出ていたものです。日本では蝉の季節となったのですね。こちらにはどうやら蝉はいません。

風に逆らえば雨粒の顔に痛い  啓司
 風雨の中を、風に向かって歩いているところですね。傘ももはや意味をなさない状況かもしれません。

今日も居ったな守宮  風狂子
 顔なじみの守宮ができたのですね。明日もおるとよかですね。

白い足のミニスカート降りてゆく  明人
バスでしょうか列車でしょうか、とにもかくにも夏らしい光景です。男らしい句だと思いました。

 マンションの鯉のぼりを見下ろす  ゆ
 鯉のぼりは見上げるものとばかり思っておりましたが、確かにマンションの上階からは、階下のベランダの鯉のぼりを見下ろすことができます。気が付きませんでした。

崖の下まで青物を作り百姓はさびしく  武二
厳しい環境下で、畑をひとり耕している百姓の様を描いた句ですね。作者に詠まれたこの瞬間、百姓は何を考えていたのでしょうか。

『草原』22-06(通巻90)号より


泣く子を背負い一輪車を押す  福露
方言なのかどうかわかりませんが、私の地元では一輪車を「ネコ」と言っていたように思います。お子さんのおもりと農作業と、大変そうです。

春風に乗って湯の沸く音  風狂子
春風の中でうたたねをしていると、台所の方からやかんが鳴って、目が覚めたという状況でしょうか。台所の方にはやかんを見る方がいて、作者はただ居間に寝転がっていただけではないかと想像しました。

ポスターの女が破れた手をふる  ゆ
一度張られたポスターは、なかなかはがされません。ところで彼女は美人さんだったのでしょうか。

花に急かされ筍掘りに行く  白兎
 春の花が咲くと筍の時期ですので、ついつい筍探しに出かけてしまうということですね。未だに筍掘りなどしたことはありませんが、作者の「筍・たけのこ」の記事と句を読んで、私も行ってみたくなりました。

電燈一つに靴工三人冬夜仕事してをる  吾亦紅
働き者を詠んだ句ですね。電燈一つを三人で共有し、冬の寒い中を仕事に勤しんでいる様に、靴工の悲哀をみました。

今どき甘いみかんふるさとのみかん  かいじ
珍しく甘いみかんだなと思ったら、実は慣れ親しんだふるさとのみかんだったということですね。やはり自信を育んだ水で作られているからでしょうか、体に合うのでしょう。

『草原』22-05(通巻89)号より



朝のクシャミが夢を飛ばした  操子
こういう機会は、たまにありますね。何かいい夢をみていたような気がしないでもなにのですが、飛んでしまってはどうしようもありません。

鼻唄の妻が蓬揚げている  白兎
以前に同じ作者の句で、「ふきのとうは妻にゆだねる」を見ました。なんでもどんとこいという感じの奥様でしょうか。

木の芽に朝日のほんのり赤い  啓司
朝の出勤中にみつけられたのでしょうか。心に余裕を持って日々を過ごされているからこそ、読める句ではないかと思いました。

夜がニヤリと下弦の月だ  風狂子
何かが起こりそうな夜となりました。これからは、下弦の月を見るたびにニヤリとしそうです。
 
酔って春の夜の夢ひろがる  敬雄
泥酔一歩手前まで飲まれたところだと想像しました。頭の回転が速く?なってしまうのか、いろいろなことが夢の中で展開されます。悪くはない心地ですね。

雪だったと言う女の手を包む  ゆ
冬ならではの句ですね。雪が降る中を、わざわざ訪ねてくれたところでしょうか。手を包むことで、その労をねぎらっているようです。

小松菜の花が咲くまで待とうか  権三郎
思わず何度も復唱してしまいました。ご自身で育てていらっしゃる小松菜でしょうか。人や植物が生きている様を、きれいに描かれていると思いました。

『草原』22-04(通巻88)号より



気付けば膝の大きな傷跡    風狂子
楽しい人生を送って行くうちに、意識することもなくなっていた傷跡に気付かれたのですね。自身の体に刻まれた傷跡は、たまに見るといとおしいものです。

幼子は晴れても長靴  風狂子
どうやら長靴を気にいってしまったようですね。情景が目に浮かぶようです。自分にもそんな時期があったのかもしれませんが、どうにも思い出せません。

恋しない男の末を案じる  白兎
昨今は、恋愛に奥手の男性が増えているとの記事を何かで読みました。恋多き先輩方からすれば、そのような男どもは軟弱にうつるのかもしれません。

大根干されて白い列だ  福露
この場合、きっと空は晴れているのでしょう。そして山々の緑は、色濃くなっています。青と緑とそして白というコントラストが思い浮かびます。

犬がしゃべると言う母の真顔  ゆ
真顔で話されると、反応に困る内容です。しかし、犬がしゃべるかどうかなど個々人の認識によるものでしょうから、それほど大事ではないのかもしれません。

相手も肴も酒もない  ゆ
ここまできますと、じゃあ何があるんですかと思わず突っ込んでしまいそうです。何もなくとも句はできるものですね。

『草原』22-03(通巻87)号より

 句友の墓標へ迷わずに着く  白兎
 句友が導いてくれたのでしょうか、スムーズな墓参りとなりました。

 着膨れた影とゆっくり歩く  まゆみ
 冬のひとこまがきれいに描かれています。急がず慌てず、ゆっくりと時間が流れているようです。

 私を刺す今朝の月  芳江
 朝に残っていた月の光が鋭かったのでしょう。あるいは薄くとも、私にとっては厳しいものと見えたのか。

 小鳥のかげすぎる  敬雄
 何気ない句ですが、よく考えると小鳥の影などなかなか目で追えません。よく気がつかれたと思いました。

 昨日の予報の雪積もっている  明人
 予報お見事というところでしょうか。しかし雪の予報は大体よくあたる気もします。

 抱いた子が見付けた一番星  風狂子
 星がよく見えるまちの夕暮れの光景です。子供はよく見ています。

2012年4月30日月曜日

『草原』22-02(通巻86)号より



  イブのチキンの相手は息子  渓子
 どうも最近のクリスマスイブとは、恋人同士で過ごす日のことのようです。お母様側からしてみれば、「うちの子はクリスマスイブなのに家にいて大丈夫なのかしら」といったところではないかと勝手に想像いたしました。

知らぬ女から喪中の報せ  白兎
人付き合いの多い方ですと、こういうことも多々あるようです。しかしもしも、本当にまったくの他人であるとしたら、ちょっとしたホラーが始まるような気がします。

深酒を悔やんでも晴天  風狂子
二日酔いの日は、私の思い込みでしょうか、晴天が多いような気がします。こんなにいい日なのに外へ行けないというのは、なかなかつらいものです。だからといって深酒を辞めることはないのでしょうけれども。

句にならない冬空を見上げる  ゆ
 どのような空だったのか気にはなりますが、どうやら句にならないものは存在しないようですね。随句に無限の可能性を感じました。

そんなこというもんじゃないよと母は十七回忌  権三郎
お母様の口癖だったのでしょうか。人の悪口や影口を嫌う方であったのではないでしょうか。母に言われたことは、きっといつまでも心の中に残り続けるのでしょうね。

日のあたる野を遠く本を読んでをる  武二
本を読んでいる場所が少し高台になっていて、野原を遠くまで見渡せます。本の中に入っていける、静かで楽しい読書場所なのでしょうね。

『草原』22-01(通巻85)号より


休日のラジオからヨイトマケの唄  風狂子
私がはじめてヨイトマケの唄を知ったのは、桑田佳祐さんによるカバー曲を聴いたときです。以来、美輪明宏さんの歌声もしばしば聴くようになりました。自分のために頑張ってくれる人がいることを思い出させてくれる一曲です。

妻の熱を計るだけの夜  風狂子
風邪で倒れられた奥様を看病していらっしゃるのですね。他の雑事を追うこともなく、奥様を見守っている様子が伝わってきました。

ごきぶり仕留めた妻を誉めちぎる  白兎
 夫婦円満の秘訣を見たような気がします。誉めちぎるがきいています。

枯れ鉢に水かけて声かけている  福露
 植物も人の声を理解するという話を聞きます。生存に必須な水分にくわえて、暖かい言葉をかけてあげれば、彼も再び美しい花を咲かせることができるのでしょうね。

食べる人もないミョウガ枯れはじめた  かいじ
 畑に生えていたミョウガですが、使用することもないためとらずじまいとなってしまったのですね。しかしその枯れ草の下には、次の世代がきちんと育っているのではないでしょうか。

貧乏のあごひげに手がゆく  吾亦紅
 私も同様に、手持無沙汰なときには、ついあごひげをいじってしまいます。しかしもともと髭が薄いため、美髯公と名乗るほどには一生かけてもなれなそうです。周囲からは見栄えが悪いために剃るように言われていますが、きれいなあごひげが生えるのを夢見て、もう少しだけ伸ばし続けるつもりです。

『草原』21-12(通巻84)号より



  片肘ついてリンゴをむく  昭代
長雨が続くなか、室内で暇をもてあましている様と思いました。暇つぶしもかねて、おやつ代わりにリンゴを食べようと思い立ちましたが、外の天気のこともあって、どこか物憂げな雰囲気を醸し出しています。

  駅弁開いて老夫婦向かい合う  敬雄
老夫婦の小旅行といったところでしょうか。一息ついて、楽しみにしていた駅弁をひらいているのですね。車窓には、田園や山の風景が流れています。これまでも、これからも、こうした穏やかな時間を過ごされていかれることでしょう。

  跳ねる光は大粒の雨  福露
深夜の高速道路を車で走っている際にできた句だと想像しました。大雨の中、車のライトで輝いた水玉が、自身の車にぶちあたってきているのです。綺麗な半面、運転に支障がでそうで、少し怖い光の粒となりました。

  振り返れば振り返る女  ゆ
このときの別れは、はたして一時的なものだったのでしょうか。お互いに、話し足りないことがまだあったようです。

  へなへな転任させられてゆく夏草  吾亦紅
上に従うほかない転任だったのでしょうか。力強く夏草が茂っているというのに、ご自身の体にはもはや精力が残っていなかったようです。

  飛ぶのをやめたバッタの眇目  権三郎
戦いか何かで片目をなくしてしまったのでしょうか。しかしここで飛ぶのをやめたのは、休憩のためだけであって、生をあきらめたわけではないと思いたいです。